超インフレの国ベネズエラ!移民として生きるということ。



こんにちは。
りん(南米大好きガール@RIN)です。

今回はペルーに住むJapotina(@UnaJapotina)さんという方のブログ記事に感化され

海外に移民しているベネズエラ人の実態について書こうと思います。


Japotinaさんの記事



今回書くことは実際に私がこの1年半ベネズエラ人の方々と過ごしてきて体験したことです。

ベネズエラの厳しい現状



現在、ベネズエラは超インフレで現金も食べ物も不足していて最近では現金に価値がなくなりすぎて0を5つ取り除いたそう。

ちなみにどれくらいインフレなのか分かる画像がこちら。



このツイートは0が取られる前なので今はどうなのかは分かりませんがお札にほぼ価値がないことが分かると思います。


とにかくお金のない庶民には、食べ物も生活に必要な物も回ってこないそうで
買い物ができる曜日も人によってそれぞれ決められていると聞きました。


⇊また次のツイートのように私立の学校に通っていた学生たちは、学費が払えなくなり学校にも通えていない子供たちもいるそうです。

学校に通えてもユニフォームや靴または勉強道具が買えずにいる家庭も多いのです。

去年、ベネズエラに行った時点で友人の甥っ子が学校用の靴を欲しがっていたのですが
その値段は両親の1カ月分の給料でした…。


貧困のため窃盗も増えました。

友人の話では最初は携帯や貴重品だったそうですがあまりにもひどいのでバッグは使わなくなったそうです。

そのため携帯は携帯することなく家に置き、(もはや携帯としての機能ではない!?)

カギはネックレスやリストバンドにつけて常備し、財布も使わず必要最低限のお金を
隠し持っていたそうです。

盗むものがなくなった泥棒は食べ物までにも手を出したうです。

飢えは今まで悪さをしなかった人も窃盗に手を出させスーツを着たような普通の人でも
ゴミをあさるようになったそうです。

移民として生きるベネズエラ人


そんな最悪な状況から逃げ出すために多くのベネズエラ人達は海外に出ることを決めました。

ですが、愛する国、家族、友達との別れは本当に辛く悲しいもの。

今まで家や車、専門職があった人々が全く0の状態から始めなくてはいけません。

自国を出ることも本当に大変なことなのです。

辿り着くまで



まず月給ほぼ1~2ドルで働いていたベネズエラ人にとって外国に辿り着くまでのお金を貯金することは本当に難しいことです。


私の友人のお姉さんがコロンビアに来る際も辿り着くまでのバス代を送らなければなりませんでした。

大抵はすでに海外にいる家族の誰かが仕送りすることが多いです。


しかし今一番の問題はベネズエラ人が他国に入国するためにパスポートが必要になったことです。



ほんの数か月前まではIDカードで南米中を出入りすることができました。

そしてそのパスポートを得るには莫大なお金と時間がかかるため取得することは一般人にとってとても難しいのです。

その為、違法ルートを何カ月も歩いて入国する人、境界線までたどり着いても入ることも帰ることもできず周辺で寝泊まりする人が増えました。

その中には赤ちゃんもいるそうです。

住む場所



また、入国できてもそれからの生活も決して楽ではありません。

入国してもお金もなく、行く当てもなく外で寝なくてはならない人も多くいます。

現に私の友人も初めてコロンビアに来たときは1週間は外で寝てご飯も1日一回スナックのようなエンパナーダを食べ後は水でしのいでいたそうです。

《⇊実際に住んだ家》

ちなみにコロンビアにいた当初はベッドに一人、下にマットを弾いて2人が寝て


隣の部屋で2人がシングル別途をシェアして寝ていました。


ちなみにトイレにはドアは無くカーテンで隠していました。

プライバシーが全くない!!

また、洗濯機もないところも多く手で洗ったり必要な時だけ洗濯機のレンタルをしたりしていたことも。

私も人生で初めて手で洗濯物を洗っていましたがそれが本当に大変なんです!

半日は潰れていました…笑


また、移民はビザや移住権がないため住めるところが限られたり、その国の相場をよく知らない人が多く小さな箱の様な部屋なのに相場以上の家賃に設定されていたり

一部屋に多くの人を入居させたりと「移民」という弱い立場を利用しようとする人たちもいました。

私たちが住んでいたチリの家では本来の家の庭の部分に借り住宅の様な個室を作り

全部で13部屋30人近い人が共同で住んでいました。

また日に日にルール―も増え最後にはお湯沸かし器もヒーターも電子レンジも全て使うことができなくなりました…笑

仕事



働くためのビザが無い人がほとんどのベネズエラ人には仕事を見つけるのも、とても大変なことです。

チリでは特に移民に対して厳しくなった為、働く許可書が下りないと仕事をすることはできなくなりました。

しかもその許可(permiso de trabajo)をもらうためには働く先から契約書をもらわなくてはいけないため仕事先がなければ、その許可書は申請できないという悪循環。


道で食べ物やお菓子を売る人も多いですが最近は本当に厳しくなりそういった人から物を買ったり募金をすることさえも禁止になりました。

道で売る人々は毎回警察官が来ると逃げながら売っていました。


↑警察官が近くに通ると先に見た人が合図をして

伝言されてこのようにみんな一瞬で片付けてます!!

給料



給料は南米全体的に低く労働時間は長いです

例えば私もペルーでは朝6時から夜の11時まで週6でベビーシッターをやって

1週間で200ソル(約6700円)しかもらえなかったです。


経済的に発展しているチリのアクセサリー屋さんでも朝10時から夜の8時まで週6日働いて1カ月300,000ペソ(約5万円)でした。

(そのうちの半分は家賃で消えます。)


ちなみにコロンビアのレストランでは夜6時から夜中の12時まで働いて日給が22,000ペソ(約800円)+チップが大体10,000ペソ(約370円)ですが全くない日もありました。


私の仕事は固定収入があるのでまだよい方ですが沢山のベネズエラ人達は職が見つからず食べ物やお菓子を売り歩いています。



⇊出稼ぎにきた友人のお姉さんも

ベネズエラの伝統料理Hayaca(アジャカ)を作って売り歩いていました。



生地はトウモロコシの粉に様々なエッセンスを混ぜるのですが豚肉から丁寧にとった油も入っています。

中身には牛肉、豚肉、鶏肉、レーズン、玉ねぎ、パプリカ、オリーブ等をじっくり煮込みます。




これほど手間と時間をかけて作っても7000ペソ(約260円)がマックスの値段設定でした。



また歩合制の仕事も多くレストランでもチップのみで支払われたり観光地ではツアーを道端で売るという仕事も本当に沢山のベネズエラ人達がやっていました。


また人が増える分競争率も上がり最低金額ぎりぎりまで下げて売らないと売れないという状態でした。


売れない時は収入が0になってしまう時もありました。

収入がない時は家に帰る賃金さえないこともあります。

なぜ移民として生きるのか?

では、なぜそこまでして愛する国を捨てて海外で移民として生きるのでしょうか?

自分の国には愛する家族や恋人もいることでしょう。

家だってあるはずです。

迎えに行くと約束するからね。独りぼっちにおじいちゃんを置いて行ったりしないから。 


ですがそれでも家族のために頑張ると皆腹をくくって来るのです。




私の周りのベネズエラ人達も幼い息子や娘と奥さんを置いて何とか家族を守るために一人で来る人、彼らを呼ぶためにお家や仕事を必死に探していました


大学も中退せざるを得ない学生も多くいます。


しかし、愛する人と離れることは想像以上に辛くベネズエラは昔、世界でもお金持ちの国として知られていたこともあり多くのベネズエラ人は他国での生活に慣れていない人ばかりです。

その中で家も仕事も家族も友達もいない全く0の状態から始めるのは本当に孤独との戦いだそうです。

実際に何日もかけて他国に辿り着いてもホームシックで自国には何もないと知りながら
帰る人も何人か見てきました。

しかし

そんな辛さを人前では見せないのがベネズエラ人なのです。




いつも明るくそんな悲しさを1mmも見せずポジティブに生きています。

血のつながった家族とは離れているかもしれませんが、他国で出会うベネズエラ人達は
すぐ仲良くなり助け合って生きています。

私の住んでいた家のご近所さんのベネズエラ人達も何かが足りない時は貸し合ったり情報を共有したり。

そしてどんなに辛い状態でも音楽とお酒が欠かせないのもベネズエラ人達!笑

週末になると音楽を流しては勝手に人が集まりおしゃべりしたり踊っていたりしていました。

私たちにできること


ざっくりですがこんなことを言っています。
私たちは戻らない。自国で死ぬより国境線で死んだほうがましよ。だって少なくともここでは物が手に入る。本当に仕事が欲しいの。私たちの家族を連れだすために。もしできるのなら私達みんながバスに乗って行ける交通費の手助けとなる署名をしてほしい。もうこれ以上ここにはいられない。お金がかかっているから。今日にも解決策が必要なの。私たちを国境線に住まわせておくの?それはできないわよ。帰らせるの?どこに?あそこで死ぬために?ありえないわ。大統領、心に手を置いてみて。あなたは毎晩快適に寝ているでしょう。でもここにいる私たちは寒さや飢え、苦しい生活をしているの。

もちろん私には帰れる場所があるので100%彼らを理解することは不可能です。


しかしこれまで私は彼らと一緒に過ごして来て「可哀そう」という同情の意見を聞いてきました。

ですが私はそれは何か違うと思っています。

確かに彼らの状況は本当に最悪で大変だと思うし家族と離れることも辛いことだと思います。


しかし彼ら自身、その辛さを乗り越え前に進むために他国に出ています



その前向きな行動に可哀そうというだけで終わらしてほしくないと思っています。

彼らが一番必要なのはもっと前に進むための後押しだと思っています。

その為には仕事が必要です。

どんな仕事でも自分がお金を稼いでいるという事実は自信につながるはずです。

私の友人もビザのせいで2か月くらい仕事をすることができなくなり、その時は本当に落ち込んでいました。


この1年間半の移民生活は金銭的にも正直大変なこともありました。

しかし沢山の人に助けてもらったのも事実です。

中には布団や電子レンジを譲ってくれたり食事に誘ってくれたり。

仕事や住む場所を探してくれたり。

その気にかけてくれている優しさに感動しました。

ただ、今の私には彼らに仕事を与えてあげるほどの力はないので綺麗ごとだけど少しでも彼らに元気を与えられたらな。と思っています。

1人ではない。ということを伝えてあげたいです。

可哀そう。ではなく頑張っているカッコいいベネズエラ人達にエールを与えられたらいいなと思っています!

近くにベネズエラ人がいないと直接的な援助は難しいと思います。

金銭的に援助することも沢山の移民がいる中全員を助けることも難しい。

無力な私には何もできないけれど何かできるとしたら私が持っている情報を共有することなのかな?と思い今回書きました。

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私が出会ったベネズエラ人の方々は本当にみんな優しくて明るい人ばかりで皆大好きです。

ですがそんな彼らも家に帰って写真やビデオを見てこっそりと流す涙も私は見てきました。

それでも周りにはその悲しみを見せず前に進もうとする彼らを私は本当に尊敬します。






これを読んでベネズエラのことを想ってくれる人、助けたいと思ってくれる人がいて

少しでもベネズエラ人達を思う心のリレーが繋がっていきますように。