2017年3月9日木曜日

# コロンビア # 観光情報

独立の鍵!!San Felipe Castillo カルタヘナのお城の歴史

カルタヘナのお城の歴史



今日は学校の後みんなでサンフェリペ城に行ってきました。

個人で行くと25,000pesosかかりますが今回は学校で行ったので無料!!!


お城という名前ですが実は塀のサンフェリペ城には沢山の歴史があります。









このお城は昔イギリス人たちが領土を

侵略するために襲ってきたときに建てられたものでした。



セントラル、オールドシティは昔は島になっていて、海の上にあったそうです。

なのでお金持ちはセントラルの中に逃げ
ゲートを締め身の安全をとっていたそうです。


ですが

お金のない人は皆その中には入れず

その外の部分で暮らさなくてはいけなかったそうです。



なので陸地でも土地を守れるところを作るために

この城は作られました。

このお城は住むためのものよりかは攻撃のための塀
っといった方が妥当かもしれません。

城の中にはたくさんイギリス人に負けないように
考えられて設計されたものがありました。




例えば!
スペインの植民地だったのでスペイン人がイギリスと戦っているのですが、

昔スペイン人はイギリス人と比べて背が小さかったので
トンネルも小さめに設計されています。


それはスペイン人は早く走れるけど背の高いイギリス人は

彼らみたく走ることができないようにするためです。


また、
イギリス人がこのトンネルを通って襲ってこようとしても

中から外は出口間際までいかないと外が見えない設計になっているので、

スペイン人たちは出口付近で敵を待ち伏せしました。



良く音も響くのでスペイン人同士は音を鳴らして
自分は敵じゃないから打つな

と出口付近の兵士とコミュニケーションをとったそうです。



あとは、この小さい隙間からこのように射的しました。

向こう側からだと姿は見えなく隙間の穴も非常に小さいので

向こうから打ち返すことは困難だったでしょう。



このような仕掛けと、異常な暑さ、
南米特有の病気にイギリス人たちは苦しみ、

撤収していったそうです。




上からの景色はとてもきれいで夜に行ってもさらにきれいかもしれません!!




スペインに長い間征服されていたカルタヘナ。

スペイン人たちが奴隷として送ったアフリカ系黒人の影響で

今現在も人口の多くは黒人、
または白人とミックスされた”モレナ”という肌の人が多くいます。

10年間以上の長い戦いの末、
独立運動の指導者であるシモン・ボリバルが勝利を収めました。

現在でもシモン・ボリバルの栄光はたたえられていて

セントロ付近にあるボリバル広場には彼の銅像が祭られています。


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